東日本大震災(2011.3.11):第1弾 岩沼市ボランティア活動レポート(4月6日~10日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。

4月6日(水)~10日(日) 5日間

【災害ボランティア概要】 日程:4月6日(水)~10日(日)  場所:宮城県岩沼市・亘理町  人数:8名


4月6日から5日間、アイジーコンサルティングの社員8名が、第1陣として被災地でのボランティア活動に参加しました。4月6日の朝8時半、宮城県岩沼市に向けて本社である浜松を出発。片道600kmを車で移動。東北道に入ると自衛隊や警察車両が多くなり、震災の現場に向かっているんだという実感が沸いてきました。到着したのは午後5時半頃、9時間かかりました。宮城県岩沼市のボランティアセンターに登録し、2日目からボランティアに参加させていただくことに。現地でまず目の当たりにしたのが、被害の凄まじさでした。

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岩沼市海岸付近

4月7日(木) 現地2日目(ボランティア初日) 岩沼市にて活動

1-3.jpg朝8時過ぎにボランティアセンターに。その後、ボランティアの手伝いを希望するお宅に向かいました。作業は、午前2時間、午後2時間の計4時間です。午前中は、仙台からきた若いお母さんと中学生の娘さんと一緒に、全員でビニールハウスの泥のかき出しを行いました。こちらの農家のお宅は、1メートル位の高さまで津波がきたそうです。ビニールハウスの中には津波の汚泥や流れてきたゴミが山積みでした。6人で約2時間腕が棒になるほど泥をかき出しました。おじいちゃんおばあちゃんの二人では到底やりつくせないほどの量でしたので、終わったときには達成感がありました。何より、たった2時間のボランティアでとても感謝してもらえたことが強く印象に残りました。


1-4.jpg午後のお宅は岩沼の海岸にほど近いお宅で、津波は2メートル以上の高さまできたそうです。一階部分は鴨居まで津波の跡が残っていて、汚泥や流れてきたゴミなどで一杯でした。地元の高校生2名との作業でした。地元の高校生は震災の影響で学校が休みとなっているので毎日ボランティアに来ていると言っていました。午後は家屋内に侵入してきた汚泥の掻き出しと、津波に浸かった家具や畳などの搬出作業が主な仕事でした。こちらのお宅でもただひたすら作業をしているうちにあっという間に時間が来てしまいました。こちらのお宅のお父さんは津波で2階に一人取り残されて、なんと6日間も2階にいたそうです。それでも、家に残らず車で逃げ出していたら津波にさらわれてたのでよかったとおっしゃっていました。車で移動していて津波にさらわれた人がたくさんいたそうです。近隣は流された車がそこかしこに転がっていました。こちらのお宅のお父さんは一人暮らしで今は避難所で生活しているそうで、一人ではとても片付けられないとおっしゃっていました。必要とされ役に立ち感謝されて私たちも来た甲斐がありました。 1日作業をしてみた感想は、予想以上に大変な作業でした。1現場を2時間に限定している理由が分かりました。そして、気温も高く作業中は汗だくでした。それにしても地元のボランティアの方々には頭が下がりました。仙台からきたお母さんと中学生の娘さんも一生懸命働いていました。地元の高校生も必死に泥の掻き出しをしていました。私たちも負けていられません。


4月8日(金) 現地3日目(ボランティア2日目) 岩沼市にて活動

前夜に宮城県で大きな地震があった事と天候が雨だったため、ボランティア参加者が少なく、ボランティアを中止する地域もありました。午前中は屋外の駐車場と離れの泥の掻き出し作業を、大学生の女の子2人と一緒に、午後は農家のお宅のハウスの周囲の泥の撤去と作業場の片付けを高校生の女の子2名と地元の大学生1名と一緒に行いました。こちらの農家ではブランド米を東京の企業に出荷しているそうです。震災後も蔵にあった米は津波の被害をまぬかれたそうですが、原発の風評被害で契約がすべてキャンセルになってしまったそうです。こういった風評被害で苦しむ農家の作物を購買することもひとつの支援のあり方だと思いました。

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駐車場の泥だし、漂流物の片付け              離れの泥だし

4月9日(金) 現地4日目(ボランティア3日目) 亘理町にて活動

亘理町にて現場作業を行いました。内容は、屋内の家屋の片づけや畳の汚泥の撤去、屋外のワラやゴミの片づけが主でした。床をめくって床下の汚泥の掻き出しも行いました。普段床下調査で1人で持ち上げることに慣れている畳は、水を吸って非常に重く泥で手がすべり、大人が4人がかりで外へ運ぶなど、想像以上に重労働でした。

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亘理町ボランティアセンター

4月10日(土) 現地5日目 被害状況確認と移動

最終日は移動日でしたが被害の状況をこの目で見たく、朝早めに起きてメンバー全員で岩沼市から仙台空港、名取市の被害状況を見てきました。海岸に近い所では危険な建物も多く、人が入れるような状況ではありませんでした。震災から1ヶ月経った今も、自衛隊や消防、警察官による捜索活動、流木や家財、壊れてしまった家の片付けが行われていました。(被災された方にとっても大切な財産だったと思うと「瓦礫」という言葉はとても使えません。)その後は被害を食い止め、この道路に避難して多くの方が助かったという仙台東部道路から、東北道、首都高速、東名と600kmの道のりを帰ってきました。

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ボランティア活動を通じて感じたこと

今回の活動では、人の温かさや強さや、行動をすれば必ず前へ前へ進んでいくことを実感じました。多数のボランティア志願者は全国各地から来ていました。一番印象に残っているのは、お伺いした1件のお宅で休憩中に皆の中心で2歳の男の子が、無邪気な笑顔で遊んでいる姿を見て、全員が疲労の表情から笑顔に変わった。子供の笑顔は回りに不思議な力を与えてくれました。そしておばあちゃんが、2歳のお孫さんに向かって、『このご恩を大きくなったら返さなきゃいけないよ』と何度も何度も言い続けていたこと。明るい未来に向かって進んでいく希望の光。その反面この未来を背負って立つ子供達の多くも犠牲になったことを考えると涙がこみ上げて来ました。私たちも7日の夜に震度6の余震を経験しました。身を守ることが精一杯でなにもできませんでした。3月11日の大震災は、この比ではない恐怖だと思うと、胸が締め付けられます。まだまだ被災地ではボランティアの数も不足しています。自分たちの目で見たこと感じたことを出来るだけ伝え、復興が完了するその日まで、私たちにできることをし続けたいと思います。自分たちに出来る事を今一度考えこれからも行動していきます。

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