東日本大震災(2011.3.11):第2弾 亘理町ボランティア活動レポート(4月19日~23日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します

4月19日(火)~23(土)5日間

【災害ボランティア概要】 日程:4月19日(火)~23日(土)   場所:宮城県亘理町  人数:8名


4月19日(火)から23日(土)の5日間、アイジーコンサルティグの社員8名が第2陣として被災地でのボランティア活動に参加しました。みぞれ交じりの雪がチラつき、東北地方はまだ寒かったです。初日は、現地到着後に時間があったため、仙台空港近くの被災地へ。震災後1ヶ月が過ぎても報道で見たのとあまり変わらない状況が目の前にあることに言葉を失いました。海岸沿いの地域の被害状況は深刻です。逆に、海岸から数キロ離れた場所では店舗も再開しており、復興が進んでいました。

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仙台空港付近の被災地                    亘理町ボランティアセンター

4月20日(水) 現地2日目(ボランティア初日) 亘理町にて活動

2-3.jpgボランティア初日は、岐阜大学の教授と生徒たち5名との作業でした。「自分はお金で支援することは出来ないが、体力はあり余っているので、体力で支援したい。」という想いでボランティアに参加されたそうです。岐阜大学の5名と一緒に、津波により1.2mくらいまで浸水したお宅の床下ヘドロ撤去、清掃等を行いました。床下へ入って泥の撤去を行った後、外周の泥すくいを行いました。和室荒板も水洗いし、乾かしました。私たちの考えでは、このように乾かすと板が反ってしまったり傷むのではないかと思いその旨を依頼者に伝えたのですが、どうぜ一度浸かっているので綺麗にしてほしいと。依頼者の気持ちに応えることにしました。奥様の話では、地震発生時、津波が来るから高台に逃げる際、隣のおばあちゃんも誘ったが、行こうとせず、残念ながらお亡くなりになられたとの事。地震が起きて津波が来るまで30分。私たちが詞の場にいたら逃げるという判断が出来たのだろうか。「まさか津波が来るなんて・・・」多くの被災者がそう思っていたと思います。生死の境目はちょっとした判断で決まってしまう事に恐ろしさを覚えました。


4月21日(木) 現地3日目(ボランティア2日目) 亘理町にて活動

ボランティア2日目は、自衛隊・消防隊・警察が作業をする、許可がないと入れない場所での活動でした。伺ったお宅は1階は天井まで冠水、構造的に倒壊の恐れはないとの事でしたが、建て直すそうです。屋内の家財や家具の引き出し、必要な物の仕分けのお手伝いをしました。1階の家財道具を全て出して、ご家族の方にいる物いらない物の仕分けをしてもらい、いるものは一時保管場所へ移動する為、トラックへ。下記写真の家の前にある山は要らないもの。というより、諦めざるを得なかった物です。仕分けした荷物はトラックに載せ、保管場所へと移動します。依頼者のお母さんはとても明るく振舞われていました。津波が来た時は、家族全員で2階へ避難。家の周りに船や車が流されるのを見たそうです。何度かヘリが上空を通過したのですが、気づかれず3日目にしてようやく動いている所を発見され、救助されたそうです。何よりお腹が減ってしかたなかったとの事。

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家の前には要らないと判断した物が              仕分けした荷物を保管場所へ

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1階長押上まで海水が浸水した                電柱が破壊されています

4月22日(金) 現地4日目(ボランティア3日目) 亘理町にて活動

2-8.jpg亘理町にて2班に分かれて現場作業を行いました。1つの班は、床下での作業を行いました。まだ築年数の浅いお宅です。津波は和室押入れほどまで浸水した様子がありました。既に4日間ボランティア活動を行っているお宅で、今日が5日目でした。今尚、床下に20cmほど海水とヘドロが詰まっており、ポンプで排水してから床組みを水拭きし、殺菌消毒・消石灰散布をしました。作業的には一番きつい現場でしたが、得意分野である床下の作業をしたという充実感と5日間かけて依頼された作業を完了できたという達成感を味わうことができました。奥様から涙を流しながら「ありがとう」と何度も何度も感謝の言葉をいただき、微力ながら力になれたことを嬉しく思いました。


もう1班は、海岸から1kmほどの地区で、近所の家もかなり流され数十名の方が亡くなられた地区でした。工務店を経営されているお宅での作業でした。住居は津波の被害を受けながらもしっかり残っていますが、資材関係は小屋ごと流されてしまったとの事。津波で浸水した建物内部の掃除や写真拭き、付近の田んぼ内に散乱した資材の改修を行いました。休憩中に、ご主人から「頑張れと言われても頑張れんはな。」との言葉も。その言葉に返す言葉がありませんでした。しかし、親戚の方や奥様と話しているうちに笑顔がこぼれたので、ほっとしました。こちらが勇気づけられました。ご夫婦は震災当日、たまたま選挙の準備に行っており難を逃れたそうです。この近隣ではまだ行方不明の方がいるそうです。車で避難中に津波に流され、近所の方がご遺体で見つかったが、まだ3名の方が行方不明との事。その現場は、今、ボランティア活動をしているこの地域なのです。早く見つけてあげたい。ご主人と一緒に行方不明になったと思われる場所を少し捜したそうですが、そう簡単にはみつかりません。こういった現状に胸がしめつけられたと言います。

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ボランティア活動を通じて感じたこと

現地では、毎日しかも深夜に地震が起きています。ボランティア活動中はほとんど眠れませんでした。まだまだ被災地では手助けを必要としてくれる方がたくさんいます。被災地域は高齢の方が多く、住人の方だけでは復旧作業が難しいです。完全に復興するまでには数年かかると思います。今回、現地へ行かせていただき、「瞬間」の力も大事ですが「継続」する事はもっと大事だと改めて感じました。そして各地から集まっているボランティアには感動しました。名古屋から夜行バスに乗り1人で来たという女性や、上司に愚痴を言われながらも会社を休んで来た若者。定年退職したけど、体は動くからと元気に作業するおじさん。日本というチームのために!という日本人としての一体感を感じました。現地では既に明るい未来に向けて歩み始めています。そんな現地の方々から逆にたくさんのパワーを頂きました。

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「日本は1つに」応援メッセージ               第2陣ボランティアメンバー集合!