東日本大震災(2011.3.11):第3弾 気仙沼市 炊き出しボランティア活動レポート(5月9日~12日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年4月15日時点で約28,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は13万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。

5月9日(月)~12(木)4日間

【災害ボランティア概要】 日程:5月9日(月)~12日(木) 場所:宮城県気仙沼市  人数:4名)


5月9日(月)から12日(木)の4日間、アイジーコンサルティグの社員4名が宮城県気仙沼市にて被災地でのボランティア活動に参加しました。今回は、公益社団法人 日本国際民間協力会(通称NICCO)の主催するボランティアに参加し、NICCOの一員として気仙沼市の市民文化会館での炊き出しボランティアに参加しました。気仙沼市の被害は甚大でした。瓦礫の山、倒壊した家屋、家に乗り上げた船、そして街全体が潮臭く、泥と生ものが混ざったような異臭が立ち込め、思わず顔をしかめてしまう程でした

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気仙沼市被害状況

5月9日(月) 現地1日目(ボランティア初日) 気仙沼市にて活動

3-3.jpg炊き出しはNICCOの一員として全国から集まった学生と一緒に行いました。一週間分の献立があり、それに沿って調理します。調理の指示は気仙沼で被災した調理師さん3名とNICCOの担当者です。初日は夕食からの手伝いでした。ご飯の準備は約2時間前から始まります。今日は、210食分の炊き出しを行いました。おにぎりとお味噌汁は自衛隊の方がつくっています。献立は焼き鳥2本とサラダ(レタス・トマト1/8カット、りんご、パイナップル)です。館内放送で食事の用意が整った事を伝えると、被災者の方が何人か来て配っていました。配膳担当が決まっているようで、スムーズに配膳していました。炊き出し後、エプロンをつけた私たちに「ありがとう。ご苦労様」と声をかけてくれ、大変嬉しかったです。


5月10日(火) 現地2日目(ボランティア2日目) 気仙沼市にて活動

本日も210食分の炊き出しです。昼食はウインナー3本とサラダ、夕食は肉じゃがとフルーツポンチ(自治体から提供)を作りました。昨日はぎこちなかったメンバー間の会話も増え、コミュニケーションを図りながら調理ができました。指示を待つだけでなく自発的に調理を行えるようにもなってきました。炊き出しはスムーズですが、被災者の方とのコミュニケーションを取ることはできません。避難所は一見、明るく感じますが、一歩中に足を踏み入れると独特な雰囲気があり、気軽に声を掛けることすらままなりません。ダンボール1枚隔てた先には他人がいる。それが常時続いている事で多大なストレスを被災者の皆さんが抱えているのだと思い知りました。

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炊き出し風景                        配膳前の肉じゃが

5月11日(水) 現地3日目(ボランティア3日目) 気仙沼市にて活動

3-6.jpg昼食はマカロニサラダ、夕食は麻婆豆腐を作りました。本日より100食分追加となり、310食分の炊き出しを行いました。気仙沼市民会館の隣に気仙沼中学校と気仙沼小学校があります。中学校は教室が、小学校は体育館が避難所です。中学校と小学校に避難している方々のごはんは、おかずは無く、自衛隊が作るおにぎりと味噌汁のみです。ボランティアが入っておかずを作らない限り、基本的にはおかずはないのです。自衛隊が見かねておかずを作ってくれていますが中学校、小学校と交互に行うため全員に行渡りません。そこで、私たちが作ることに。調理師の方によると500食位までなら手間は同じだそうです。休憩時間に支援物資の野菜を整理しました。ダンボールに20箱程あったレタスやネギは、ほぼ腐敗しており、分別した結果、1/3程度しか使えるものはありませんでした。ニュースで報道されている「支援物資が溢れている」の意味を痛感しました。また、炊き出しの拡大の為に小学校の調理室を使いたいとボランティア団体が要請しているようですが、教育委員会の許可がおりず使えないどころか、鍋すら貸して頂けないといった現場でのトラブルも頻発しています。NICCOスタッフが日々調整していますが、課題は山積みです。今日は小学校にも配給するという事で、午前午後と避難所の方が1名ずつ手伝いに来て下さいました。私たちが静岡から来たと伝えると、「あら~気仙沼の人かと思いました。遠いところありがとうございます」と笑顔で言ってくれました。夕食の麻婆豆腐が大分余ったので、避難所の方におかわりを呼びかけると、嬉しそうに「おいしいからまた、もらいに来たよ」と来てくれました。日常の些細な事に喜びを感じて生活してくれていることに少し安心しました。


避難所の生活・様子

3-7.jpg避難所の方は今ある現状を受け入れ、淡々と生活している印象です。ごはんができればいつもの流れで配膳し、ごはんを食べ、歯をみがき、駐車場にある自衛隊が仮設したお風呂に入ります。自衛隊の仮設風呂は、時間帯で男性用・女性用と変わります。中を見させていただきましたが、20人くらいが同時に入れるくらいの大きい浴槽が2つあり、更衣室もあります。シャンプー・コンディショナー・ボディーソープ完備です。女性自衛官にどこから来たのか聞いたところ、福岡から来たとのこと。30時間かけてきたようです。女性自衛官はどんな仕事をするのか聞いたところ、瓦礫の撤去や見張り等、男性と同じ仕事をするそうです

ボランティアの休憩時間に小学校の教師をしている姉から預かった子どもたちの手紙を渡そうと、NICCO担当者さんに話をし、避難所となっている気仙沼会館の館長さんに合わせていただきました。私が静岡から来たこと、姉の小学校の生徒たちからの手紙を預かったことを伝え、手紙を渡しました。「ありがとう。何年生ですが?わぁ嬉しいです。」と喜んでくださいました。「返事を書きたいので先生の名前を教えて」と言われました。市民会館の廊下や玄関には全国から送られてきた手紙や寄せ書きが多く貼ってあります。子どもたちの想いが少しでも伝わると良いなと思います。

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ボランティア活動を通じて感じたこと

ボランティアの合間に陸前高田市へも行きました。陸前高田市に着くと家がずっと先までなく、海が見えないくらい遠い位置なのに津波で流されています。残っている家屋には「取り壊してください 主人」との貼り紙も。「津波さえこなければ・・・」現地の方々は皆、おっしゃいます。地震から2ヶ月が経ちますが、まだまだ復旧作業には時間がかかりそうです。日が経つにつれ泥や魚の死骸等からの悪臭もきつくなってきています。気仙沼市・陸前高田市は死者・行方不明者の多い地域です。身内・ご友人を亡くされている方々の心労は計り知れません。震災当時のお話をしてくださった方は、気持ちの整理がついていて、前向きな方々です。しかし、まだその状況になれない方々がたくさんいます。一緒に炊き出しを手伝ってくれた被災者の方は、「何かしていないと夜も眠れないから炊き出しをやる」と。自らを奮い立たせているのです。返す言葉がありませんでした。気仙沼市・陸前高田市での長期的な支援の必要性を感じました。

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津波の時間で止まっている                気仙沼ボランティア参加メンバ


アイジーコンサルティングでは、今後も継続してボランティア活動を実施していきます。