東日本大震災(2011.3.11):第6弾 石巻市ボランティアレポート(7月12日~16日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年8月10日時点で約20,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は8万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。


災害ボランティア 宮城県石巻市での活動(第9陣)

【災害ボランティア概要】
日程:7月12日(火)~16日(土) 人数:14名 場所:宮城県石巻市  


7月12日(火)~16日(土)の5日間、アイジーコンサルティングの社員14名が宮城県石巻市にて災害ボランティア活動に参加しました。私たちが活動した北上川河口の長面(ながづら)地区・弘象(ひろぞう)地区は、今回の震災の中でも被害が甚大であった地域です。震災から4ヶ月経った今でもガス・水道・電気のライフラインが復旧していません。現地は、地図とは全く違う地形に変っており、長面地区は田園と集落だったはずの場所は海水に浸っています。弘象地区は地盤沈下により、震災当時は陸の孤島化していた地域です。震災後3日間は救助がなく、被災にあった他の家にある食料を皆で分け合ったり、自動販売機を壊して飲料を分け合ったりと生きるための行動をとったそうです。もし自分が同じ立場だったら考えると答えは出ず、ただただ言葉が出ませんでした。

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石巻市長面地区にて 泥の掻き出し

6-3.jpg今回は、3日間とも同じお宅でのボランティア活動でした。津波により家の周辺にある側溝に溜まってしまった泥の掻き出し作業を行いました。泥の中にはガラスの破片や食料など、様々な物が混ざっていました。悪臭、暑さ、水を含んだ泥の重さは辛いものがありましたが、私たちを元気に明るく迎えてくれた依頼者さんのためだと思うと使命感にかられ、顔に飛び散る泥も気にならないくらい熱中していました。ニュースでも問題視されているハエも大量発生しています。昼食時、食料に寄り付いてきましたが、3日目にはそれすら気にならなくなっていました。 側溝が綺麗になったら、次は床下の泥出し作業です。床下には、水分をよく含んだ泥が一面に溜まっていました。土を土のう袋に入れるのですが、水が染み出てきて重く、運ぶ作業が重労働でした。床板の上げられない場所は、床下に潜り泥を掻き出しました。なんとか3日間ですべての泥を出すことができました。


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土のう袋を何枚使用したか分からないくらい、土のうが高く山積みとなりました。土のう袋は庭に積み上げられ、道路には瓦礫の山がある。そんな光景がいたるところにありました。いつ、どこへ処分してもらえるのか。その気配は活動した3日間では見ることができませんでした。


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石巻市長面地区にて 陸に打ち上げられた船を運ぶ

他のボランティアの方々と合同で陸に打ち上げられた船を海に戻す作業を行いました。津波で打ち上げられるのは一瞬なのに、一隻の船を300m運ぶのは成人男性20名以上でやっとのことでした。作業後は、握力がなくなるほど力が必要な作業で、この時にも自然の驚異を思い知らされました。

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石巻市立大川小学校視察

メディアで何度も取り上げてきた全校生徒108人中、74名の児童が死亡・行方不明という悲劇が起きた場所です。未だ6名の児童と1名の職員の方が行方不明で自衛隊の方々が捜索しています。渡り廊下がねじり倒れ、壁のコンクリートも破壊され、爆弾が投げ込まれたかのように見えました。

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子供たちの笑顔が響いていた教室も、皆で歌ったであろう校歌の文字もボロボロで見るも無残でした。

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校門の前に慰霊碑(献花台)があり、子供を失った親たちの悲痛な叫びが書かれていました。ちょうど七夕後の時期ということもあり、慰霊碑には笹の葉が飾られていました。短冊には「もう1度子供たちに会いたい!3月10日に戻して下さい」と書かれていました。涙が止まりません。「○○ちゃんがいなくなって100日経ちますが、お母さんは毎日泣いています。」「○○くん、今どこにいますか?一目でもいいから会いたいです。」

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大川小学校では、地震直後に父兄の迎えを待つか、避難をさせるかに迷い、校庭で待機していたようです。また、地域の避難指定場所にもなっており、近隣住民の方も避難されていたとの事。避難マニュアルが無く、決断に時間がかかり、北上川を津波が襲ってきたときには既に時を逸した状態だったようです。「・・・たら」「・・・れば」は通用しませんが、この学校にも防災教育・備えがされていれたら、決断できるリーダーがいたら幼い生命を守る事ができたのではと思うと無念で残念で涙が溢れました。こういった悲劇を二度と起こさないように、或いは再び同じような災害が起こっても被害を最小限に食い止めなければならない。その為には、今回の震災の教訓を風化させないことが私たちに課せられた使命なのだと感じています。

ボランティア活動を通じて感じたこと

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6-18.jpg依頼者さんご家族は、とても温かい方々でした。仮設住宅から毎日来てくれて、たくさんのジュースを買ったもってきてくれました。本当に申し訳ない思いがありました。自分の家がとんでもない状況になっているのに、とても前向きで、逆にこちらが励まされました。3日間作業したお宅は、住めるようになるには少なくとも3年かかります。「地盤沈下により満潮時に冠水してしまうこと、ライフラインの復旧、防災対策、課題は多いです。この地域が昔の面影を取り戻すときが来れば、私たちの活動がその1歩になることを願わずにいられません。依頼者さんは、お会いしてから一度もマイナスな言葉は無く、逆に私たちを励まし気遣ってくれました。明るく元気で、沢山の勇気をもらいました。「絆」が生まれました。復興したら14名でまた訪問したいです。




アイジーコンサルティングでは、今後も継続してボランティア活動を実施していきます。