第7弾 南三陸町ボランティアレポート(3月27日~4月1日、4月3日~7日、4月10日~14日、4月17日~21日)

2011年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生。津波、火災などにより広範囲で大きな被害が発生。震災による死者・行方不明者は2011年8月10日時点で約20,000人にのぼり、なお全容把握には至っておらず、避難者は8万人以上。建築物被害も全壊・半壊計少なくとも7万戸にのぼっているが、いまだ全容は分かっていません。アイジーコンサルティングでも、何か出来ることを行動に移そう!と、ボランティアの有志を募って被災地へ行ってきました。現地に行ったからこそ分かったこと、感じたこと。ボランティアの内容、被災地の現状を報告します。


災害ボランティア 宮城県本吉郡南三陸町での活動

【災害ボランティア概要】
【災害ボランティア概要】 日程:2012年3月27日(火)~4月1日(土) 人数:8名
       4月3日(火)~7日(土)   人数:8名
       4月10日(火)~14日(土)  人数:8名
       4月17日(火)~21日(土)  人数:8名
場所:宮城県本吉郡南三陸町  合計人数:32名   


アイジーコンサルティングでは、東日本大震災から1年経過した3月末より被災地ボランティア派遣を再開させました。3月末から約1ヶ月間、4班に分かれ総勢32名が宮城県本吉郡南三陸町にて活動を行いました。メディアでは復興が進んでいるといわれていますが、実際には地域格差があります。南三陸町は被害の甚大であった地域です。1年経った今も、瓦礫は山積みのまま。まだまだ震災の爪痕が色濃く残り、人手が必要です。南三陸町は漁業の町です。今回の震災で町は壊滅的なダメージを受けています。家や仕事場だけでなく、ご家族友人・知人・大切な方を震災 で失った方々も大勢います。それでも一歩ずつ前進している現地の方々の力強さを実感しました。
南三陸町では、人口 17666人に対して3200世帯がなくなりました。残っている建物は高台のみで、人口の5%もの方がお亡くなりもしくは行方不明です。阪神淡路大震災は、神戸の人口に対して0.3%ですので、被害の甚大さが伺えます。南三陸町のボランティアセンターは3月までの開設は決まっているそうです。現在は、漁業支援の要請が多いそうですが、瓦礫撤去等の需要もまだまだあります。継続した支援が必要です。

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南三陸町防災対策庁舎                 山積みの瓦礫。SLが塞いでいる
     

漁業支援ボランティア活動

南三陸町には漁業で生計を立てていらっしゃる方がたくさんいる地域です。震災により多くの海産物や漁船が駄目になりましたが、復興に向けて進んでいます。私たちが伺った4月は、ワカメ漁の時期でした。私たちもワカメ漁・出荷のお手伝いをさせていただきました。

■漁業組合でのボランティア活動
wakame.jpg 漁港でのワカメやメカブの出荷作業の手伝いをしました。水揚げされ塩漬けにされたワカメを選別し、並べて箱詰めしたり、メカブをカットしたりという内容でした。南三陸町の漁港は壊滅的なダメージを受けています。地元の漁師さんたちに指導を受けながら作業を行いました。震災後5ヶ月は瓦礫などが海や周辺に散乱した片付けをして、漁業は全くできなかったとのことです。その後、2〜3ヶ月で成長するメカブとワカメの養殖をしたそうです。元々は個人で漁をしていましたが、設備等が津波で全て流されてしまったので部落で共同で漁を行っていました。「津波に何もかも持っていかれてしまったが、海のおかげで私たちがいる。」漁師さんのこの言葉に考えさせられました。 我々に指導してくれた漁師さんは、小学校3年生のときにチリ地震津波に遭遇したことを語ってくれました。人生で二度も津波に遭遇したのです。親からの教えで、地震が来たら何もかも置いてでも高台に避難しなさいと言われて育ったそうです。だから今回助かることが出来たと。家も作業場も失ってしまったそうですが、本当に明るく元気な姿で我々に接ししてくれました。 漁師の皆さんには本当に温かく明るく接していただきました。ほとんどの方が被災され、自宅が流されてしまったり、身内の方が亡くなったりと今回の震災で大変つらい思いをされている方ばかりです。それでも前を向いて前進している姿には私たちの方が勇気づけられました。


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■個人宅での漁業ボランティア
2012-04-05 11.44.04.jpg歌津地区にて、個人で漁業をされているお宅で活動しました。内容は漁業組合のボランティア活動と同じです。 活動をさせていただいたお宅では、一家で漁業を営まれています。作業場が津波で流され、漁船も運よく1隻残ったのみ。作業場を作り直し、漁業を再開させました。ワカメは育ったけれど、例年とれているホタテ等はダメになっています。震災で作業場を失い、海に壊滅的なダメージがあっても漁師としてまた海に出て仕事をする。プロとしての使命感です。漁師さんは、始めて経験する作業ばかりであり不慣れな私たちに対して、嫌な顔一つせず、丁寧に教えてくれました。また、皆さん、本当によくしてくれて、話をしてくださり、いつも笑顔でこちらが元気づけられました。

ワカメ漁について無知で、驚きを隠せない私たちに、ご主人が、「朝、ワカメ漁に行くから、興味があったら船に乗せてあげるよ。」と声をかけてくださったので、ご好意に甘えて早朝のワカメ漁に一緒に同行させていただきました。「せっかくだから様々な体験をさせてあげたい」そう言って漁に連れていってくれたのです。漁船で自分の縄張りまで行き、ワカメ漁を行います。ワカメを海中から引き上げ、カマでカット。体力のいる作業でした。漁師の仕事の厳しさを知りました。漁船から見た朝日は忘れられません。
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休憩時間にはワカメのしゃぶしゃぶをご馳走になりました。生ワカメをしゃぶしゃぶして、ポン酢で食べる。新鮮なワカメだからできる食べ方です。味はもちろん絶品でした。南三陸のワカメとメカブは絶品です。早く全国各地に広まればいいなと思います。
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作業中、私は、少しでも手伝えることが嬉しくて、現地の方との触れ合いが会話が楽しくて、気づいたら活動終了時刻になっていました。時間があっという間に過ぎていきました。色々と配慮していただき、ご馳走になり、何だかボランティアではなく、職業体験に来てしまったのではないか?と思い、果たして役にたてたのか、心配になりました。
しかし、奥様から頂いた言葉で、少しでも役に立てたかなと感じます。

「震災後、こんなに楽しく笑って仕事をしたことは無かった」

「震災で、奥様を亡くしたおじいちゃん。話し相手がいなくて寂しかったの。いっぱい話をしてくれてありがとう。おじいちゃん、「明日もまた来るのか?」とあなたたちが来るのを楽しみにしていたのよ。」

今回の震災で大切な人を失い深い悲しみに覆われたり、人間の弱さや醜さを目の当たりにしたり、辛い想いを沢山された方々ばかりです。震災当時の話をしてくださる皆さんの顔は、真剣で、やはりどこか悲しく、しかし、今を生きていく強さや逞しさを感じました。命の尊さを、明日がくることの有難さを知っている方々。 命があれば何だってできる。皆さん仰います。

漁師さんは、ボランティアに来た私たちに、言いました。

・自分だったら、対岸の火事のように思ってしまうと思う。仕事もあるし、義援金は送っても駆けつけることはしなかっただろう。それなのに、こんなに沢山の人がボランティアに来てくれる。「日本人で良かった」本当に「絆」という言葉がピッタリだ。

・もし、日本の何処かで震災が起こったら、私たちは仕事を放ったらかしてでも、駆けつけるからね!!

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今回、2日間個人宅でボランティアをしましたが、沢山の配慮とお気遣いを頂き私たちまで笑顔とパワーを貰えたような気がします。お体に気を付けて、毎日過ごして頂ければなと思います。



農業支援ボランティア活動

IMGP0867.jpg 農業支援として、畑の土起こし作業のボランティアを行いました。こちらの農園は、20代の若い方が農業で町を復興させるための畑です。農作物をここで栽培をし、地域の活性化に繋げます。町も予算を出して行う事業なのですが、農業用の土を買う予算はなく、山から土を運び入れ畑の土としました。山の土は石や雑草が多く、そのままでは畑にできません。土を掘り起こし、その中から石や雑草を一つずつ手作業で取り除きます。作業工程としては4人がスコップで20センチほど土を掘り起こし、残り4人が石を拾い出し、バケツに入れて行く。ひたすらその作業を繰り返しです。20メートルほど奥行きがあるビニールハウスの畑を1日に2棟ずつ作業しました。重労働であり、また地味で根気のいる作業でしたが、一つでも多くの石や雑草を取り除くことに専念しました。もし、この作業を一人でやろうとしたら何日もかかってしまう。一日も早く、一つでも多くの農作物ができるよう精一杯取り組みました。大変な作業で、皆汗だくになりましたが、働いたという実感です。20代の若者が町のために農業を行う。そのお手伝いができたことが嬉しかったです。

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ボランティア活動を通じて感じたこと・伝えたいこと

南三陸町で様々な方々と出会い、震災当時の話、震災から1年経った現在の状況について話を伺いました。復興に向けて前進している方、そうでない方、様々ですが、皆さん十分頑張りすぎている方々ばかりです。「頑張れ」という言葉はいうべきではないと感じました。現地の皆さんは「命があればなんでもできる。」そう仰います。命があることのありがたさを、明日が来ることの尊さを知っている方々。言葉の重みを感じました。そして、「この震災を忘れないでください。被災地の現状を周りの人に伝えてください。」と。義援金を送ること、ボランティア活動をすることだけが支援ではない。現状を伝えることもボランティアにつながるのです。
ボランティアセンター所長さんの言葉
IMGP0846.jpg 「復興支援は、ボランティア活動や義援金を送ることだけが支援ではない。私が話すことを多くの人に伝えることも支援になる。もっと東北の状況を皆に知って頂きたい。」 「一緒に頑張ろうという言葉が嫌い。被災した人はみんな頑張っている。これ以上頑張ったら死ぬ。」
被災地では、雇用先が無いなどと報道されていますが、実際は、働く側が選ばなければいくらでも働く場所はあるんです。国から降りる雇用援助金を利用して日当1万などの雇用先が提供されており、長期的な働き口であるコンビニや漁業などから、日当が高い雇用先へ人が流れていってしまっています。しかし援助金にも限りがあり、その雇用先で働けるのは2~3年が限度。そんな現状もあります

宿泊先「下道荘」さんにて
sitamitisou.jpg この志津川地区は民宿業も盛んで、海沿いにはたくさんの民宿が建っていました。しかし今回の震災でほとんどが流され、下道荘も全壊。ご年齢のこともあり、もう民宿は辞めようかと考えたこともあったそうですが、3人のお孫さんの存在が再建する勇気を与えてくださったそうです。それからは一家全員が別々の場所で働き、お金を稼ぎ夜は元々民宿が建っていた場所で、当時使っていた機材やお皿、部品などをひたすらかき集め新しい民宿についての計画を練る。そんな日々が続き、冬に無事上棟。そしてオープンすることが出来ました。震災直後、良いことばかりでなく人間の醜い部分もたくさん見たそうです。聞いていて胸が苦しくなる現実、いたたまれない現実。涙をこらえるのに必死でした。
民宿のご主人が仰っていたこと。「今回の震災以上なことはこの先なにもないし、震災が起きてある意味度胸もついた。民宿は津波で全壊したが家族が全員無事で、孫の笑顔を見て、もう一度頑張ろうと思い、借金をして高台で民宿を新築した。だから若い人に伝えたい!どんなことにもチャレンジをして欲しい」

今回も、ボランティア活動を行った私たちが現地の方々から沢山の笑顔や勇気、パワーをいただきました。人と人との「絆」を感じずにはいられませんでした。現地は復興に向けて進んでいますが、まだまだ時間も人手も必要です。「いま、わたしたちができること。」被災地の現状を多くの方に伝え、継続して復興支援を行います。
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アイジーコンサルティングでは、今後も継続してボランティア活動を実施していきます。